月の意識に問う 上 2008/11/15通信


 本日は、私、月の意識が地球人類と月との関係をお話したいと思います。まず、最初に私、月の誕生から話しをしていきたいと思います。月の誕生は、地球の誕生とほぼ同じタイミングで誕生いたしました。当然、地球にやがて栄える人類の誕生を踏まえた上で、私、月の必要性が人類の進化に非常に重要な役割であるという位置付けで私は誕生しました。

 人類との関わりは直接やり取りするのではないのですが、遠い距離をもって人類と接するよう宇宙意識から指導を受け、地球との連携をもって人類の、特に精神的なサポートをするよう命じられております。

 私、月は、初めにやはり霊的な潜在意識である月が誕生し、地球も同じように初めに霊的な地球の潜在意識が誕生したのです。その後、物質的な惑星というものが出来上がったのです。何事も初めに目に見えない霊体というエネルギーの塊が出来て、その後に物質化が行われるという流れは人類の誕生にも当てはまることとなります。

 なぜエネルギーの塊が意識を持ち、その後、物質化して行くかと申しますと、エネルギーが集中し、ある意識を持つまでには、この太陽系の意識が先に関与しており、ある程度の月としての役目や役割をインプットされているのです。それが自我となり、今でいう奥底ないしは潜在意識というコアな部分が出来上がったのです。

 その後、肉体的な物質、月でいえばこの月の土や鉱物の塊がまるで生き物のごとく丸い形に収まっているのは、魂のようなものが関与しているからであります。

 月は人類の進化や精神的な高揚感、迷いや気持ちが落ち込むなどいった感情の起伏(バイオリズム)に影響を与えるようプログラムされているのです。プログラムといってもコンピュータのソフトのようなものとは違い、ある程度自我を持っているので自分のやりたいことや方向性を自ら選択できることは人間と変わらぬ思考を持っていることは間違いありません。

 かつて、私月の大きさは今の月の大きさの約十倍の大きさがありました。それは、物質的でなく、霊的な大きさであり、地球に対して大きな影響力を与えるだけの質量とエネルギー量をもって、人類の進化に多大な影響を与えてきたのです。

 しかしながら、地球に降りたった神仏の中には、天と地の二系統のエネルギー資質の神仏がおり、それら神仏が人類の指導権を争って対立していた時期があったのです。天と地は大きく目的を異なるものがあり、天の目指す人類進化のあり方と、地の目指す人類進化のあり方は違っていました。

 この神仏における争いの際、私、月の意識は、地の神仏側に付き、人類の進化に対して影響を行使しようとしておりました。また、天の神仏側には太陽の意識が付き、人類の生き方に影響を与えようとしていたのも事実です。これは数千万年をかけて対立し、最終的に天の神仏側が指導権を勝ちとり、地の神仏はその力を奪われ封印されてしまったのです。

 その際、私、月の影響力も封じこめられ、その霊体はものすごく小さく圧縮されてしまったのです。本来ならば人類に対して大きな影響を与えられるはずなのですが、今は十分の一の力でしか、人類に対してその進化の影響力を行使できなくなっているのは悲しいことです。

今の地球を見ていますと、天の神仏の支配下にあった人類の断末魔が聞こえてくるようです。すべてがヒエラルキーのもとに偽物の平等を与えられた結果が、今の地球人類の状態であると、私、月は思っております。

 今から数千万年程前に人類の生き方を縦構造社会ではなく、本当の意味でのフラットな横構造社会にすべきであると意思表示していた地の神仏たちは、今の結果を見ると、とても残念に思われているのではないでしょうか。

 結果的に今の人類のあり方は、縦構造(社会)からフラットな状態に移行しているように思われます。無駄な時間があまりにも流れすぎ、また、無駄な血を多く流し過ぎてしまったように思われます。

 人間の歴史は多くの不幸を積み重ね、本来ならばもっと意識レベルを高めることが出来たのに・・・残念です。支配者がいて、支配される側がいるというヒエラルキーの体制は天の神仏が好んで行っていた構造であり、本当の意味での平等を履き違えたものであると今でも思っています。

 神仏が別の場所に移ってしまった今でも、残された地球人類はその呪縛から逃れることが出来ず、いまだに支配者と支配される側の関係性を引きずっているようです。

 本来、人類は皆平等であり、支配する側と、される側という関係はあってはならないように思えます。それぞれ個々人の能力は異なり、適材適所で、出来るものは出来ることをやり、出来ないものは自らの能力を開花させるために努力をする社会的構造がなければいけないように思います。

 それはかつて地の神仏が提唱していた人間の自立を尊重した社会的構造であり、現在では結果的に自立方向に流れが傾いていますが、天の教えは支配的で上から下に情報が流れる構造であり、下の者は努力せず、その情報を只々、与えられることを当たり前とする縦構造社会の悪しき部分が目立ってしまう結果になっているようです。

 人類は今、次の新たな段階に進まざるを得ない状況下にあるようです。その段階に進む時、上から情報が勝手に流れこんできて与えられると思っている者は、決して欲しい情報を得ることは出来ないでしょう。自ら必要な情報は取りに行く意思が必要なのです。

 人はただそこに居るだけで、自ら行動を取らなければ、何処からも必要な情報やエネルギーを得ることができないということを認識しなければならない時期に来ています。